Take Me Out to the Ball Game
私を野球に連れてって

世界の行進曲・愛国歌/アメリカ合衆国

『Take Me Out to the Ball Game 私を野球につれてって』は、アメリカ野球ファンの愛唱歌。作詞はジャック・ノーワース(Jack Norworth)、作曲はアルバート・フォン・ティルザー(Albert Von Tilzer)、1908年にニューヨークの出版社から発表された。

写真:フェンウェイ・パーク(Fenway Park)

野球の試合を見たことがなかった作者

驚いたことに、野球をテーマとした楽曲にもかかわらず、作曲当時には作詞者・作曲者ともに実際のメジャーリーグの試合を見たことがなかったようで、作曲者のティルザーに至っては当時は野球のルールすら満足に把握していなかったようだ。

作詞者のノーワースによれば、ニューヨークの地下鉄車内で見かけた野球試合の広告を見てインスピレーションを受け、野球場の最寄り駅に到着するまでの間に即興的に作詞したフレーズが今日の『Take Me Out to the Ball Game』の元となっているという。

ケイティ・ケイシーは熱狂的な野球ファン

「私を野球につれてって」と頼んでいるのは、野球が好きで好きでたまらないケイティ・ケイシー(Katie Casey)という熱狂的野球ファンの女性。彼氏にショーを観に行こうと誘われても、彼女の望みはいつも野球観戦。

ケイティ・ケイシー(Katie Casey)については、イントロ部分の歌詞で彼女についての描写がなされているが、実際にこのイントロ部分までフルで歌われる機会は少なくなっている。テレビCM・コマーシャル音楽で使われる場合も有名なメインパートのみが用いられるのが通例。

写真:ドジャースタジアム(Dodger-Stadium)

セブンス・イニング・ストレッチ seventh inning stretch

アメリカMLB(メジャーリーグ)の試合においては、7回裏の開始前に設けられる小休止の時間「セブンス・イニング・ストレッチ seventh inning stretch」中に、スタンドの観客らが立ち上がってこの『Take Me Out to the Ball Game』を歌う慣習が存在する。

「ストレッチ stretch」の文字通り、観客は立ち上がって背伸びをしたり、スナックなどの食べ物や飲み物などを買い求めて一息入れる。試合を行う選手にとっても軽い休憩の時間となる。

もし試合が同点で延長戦となり、14回(7の倍数)でも決着がつかず15回に突入する場合、14回終了時に「fourteenth-inning stretch フォーティーンス・イニング・ストレッチ」が実施される。

7回ストレッチの起源は?

「seventh inning stretch」の慣習は、一体いつ頃から始まったものなのだろうか?その起源・ルーツは諸説あるが、最も古い記録の一つによれば、既に1860年代にはその原型となる慣習が存在していたようだ。

1869年にアメリカで最初のプロ野球チームとなったシンシナティ・レッドストッキングス(Cincinnati Red Stockings)の監督兼選手ハリー・ライト(Harry Wright/1835-1895)氏(右写真)は、1869年の日付が入った手紙を残しており、それによれば、観客が皆7回裏の開始前に立ち上がり軽いストレッチをする様子をハリー・ライトは見たという。

他の説としては、第27代アメリカ大統領ウィリアム・ハワード・タフト(William Howard Taft)が1910年の試合観戦中にストレッチを始めたところ、側近達や観客らもそれに合わせてストレッチを行った、というエピソードがルーツ・起源として引き合いに出されることがある。

余談だが、タフト大統領はメジャーリーグ(MLB)の始球式を大統領として初めて行った人物として知られている。タフト氏は当時運動不足で肥満体質であったため、見かねた側近が運動の機会を作ろうと野球の始球式を思いついたという。

現代野球の父カートライト

ちなみに、今日のベースボールの基本ルールは、1845年にニューヨーク・マンハッタンのボランティア消防士アレクサンダー・カートライト(Alexander Joy Cartwright Jr/1820-1892)により1845年に考案された。

1846年6月19日、カートライトによる統一的な基本ルールで初めて試合が行われ、以後6月19日は「ベースボール記念日」、または「ベースボールの日」となった。

カートライトは「現代野球の父」として1938年にアメリカ野球殿堂入りを果たし、その功績は1953年にアメリカ合衆国議会で正式に承認された。

写真:ヤンキースタジアム(Yankee Stadium)

シカゴの名物実況アナウンサー ハリー・ケリー

では、seventh inning stretchの間に『Take Me Out to the Ball Game』を観客らが歌う慣習はいつ頃から始まったのだろうか?

これについて正確な日付は判明していないようだが、同曲を歌う慣習を広めたキーパーソンについてははっきりとしている。

実況ブースで口ずさんだ歌が…

その人物とは、シカゴの名物実況アナウンサーとして有名なハリー・ケリー(Harry Caray/1914–1998)氏(右写真)。

彼がシカゴ・ホワイトソックス(Chicago White Sox)の実況アナウンサーだった頃、seventh inning stretchの休憩時間になると、よく実況ブースで『Take Me Out to the Ball Game』を一人で口ずさんでいたという。

ある時、当時のホワイトソックスのオーナーBill Veeck Jr.氏が、ケリー氏が歌を口ずさむ様子を目にし、休憩中も実況ブースのマイクをオンにさせて、球場全体にケリー氏の歌が聞こえるように用意させた。

その後ケリー氏はシカゴ・カブス(カブズ/Chicago Cubs)の実況アナウンサーとなると、今度は彼自身が球場全体を煽るように、seventh inning stretchの休憩時間に『Take Me Out to the Ball Game』を先導して歌うようになり、この慣習はシカゴ・カブスの恒例行事となっていった。

【視聴】 実況席で観客を煽るハリー・ケリー氏 1979年

1998年に亡くなったケリー氏

ハリー・ケリー氏は1998年2月18日、心臓発作で倒れ帰らぬ人となった(享年83歳)。葬儀では、彼を象徴する曲『Take Me Out to the Ball Game』がオルガンで演奏された。遺体は、イリノイ州シカゴ近郊の町デ・プレインズ(Des Plaines, Illinois)にある諸聖徒墓地(All Saints Cemetery)に埋葬された。

彼が亡くなった1998年のシーズン中、シカゴ・カブスはユニフォームの袖にケリー氏のイラストが描かれたパッチを縫い付け、亡き名物アナウンサーの冥福を祈った。特に、カブスのスラッガーとして活躍したサミー・ソーサ(Sammy Sosa)は、同シーズン中に放った66本のホームランをすべてケリー氏に捧げたという。

シカゴ・カブスの本拠地リグレー・フィールド(Wrigley Field)球場(上写真)の脇には、マイクを持って大きなジェスチャーをするハリー・ケリー氏の銅像(右下写真)が建立され、熱意あふれる実況でシカゴ・カブスの試合を大いに盛り上げた長年にわたる彼の偉業を讃えている。

シカゴ・カブスはケリー氏の死後も、マイケル・J・フォックス(Michael J. Fox)、ビル・マーレイ(Bill Murray)、オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)など、7回ストレッチ中の歌をリードする様々な有名人を招待し、ケリー氏が育てたユニークな慣習を盛り上げるイベントを意欲的に行っている。

ケリー氏が愛唱した『Take Me Out to the Ball Game』のメロディは、これからもシカゴ・カブスの球場、そして全米のメジャーリーグの試合の中で、多くの野球ファン達によって歌い継がれていくことだろう。

YouTube動画の視聴

歌詞の意味・日本語訳

Nelly Kelly loved baseball games,
Knew the players, knew all their names.
You could see her there ev'ry day,
Shout "Hurray"
When they'd play.
Her boyfriend by the name of Joe
Said, "To Coney Isle, dear, let's go",
Then Nelly started to fret and pout,
And to him, I heard her shout:

ネリー・ケリーは野球好き
選手の名前もみんな知ってて
試合のある日は毎日
「フレー!」と叫んでる

彼氏のジョーが遊園地へ誘っても
すぐにいらいら不機嫌になって
彼に向ってこう叫ぶのさ

[Chorus]
Take me out to the ball game,
Take me out with the crowd;
Buy me some peanuts and Cracker Jack,
I don't care if I never get back.
Let me root, root, root for the home team,
If they don't win, it's a shame.
For it's one, two, three strikes, you're out,
At the old ball game.

<コーラス>
私を野球に連れてって
観客席へ連れてって
ピーナッツとクラッカージャックも買ってね
家に帰れなくったってかまわない

さあ地元のチームを応援しましょう
勝てないなんて許せない
ワン、ツー、スリーストライクでアウト
昔なじみの試合スタイルで

補足

歌詞には1908年版と1927年版があり、女性の名前が前者ではケイティ・ケイシー(Katie Casey)、後者ではネリー・ケリー(Nelly Kelly)となる。

「root for the home team」の「the home team」には、実際に自分が応援するチーム名に入れ替えて歌う。

「クラッカージャック Cracker Jack」とは、キャラメルでコーティングしたポップコーンとピーナッツが混ざったスナック菓子。

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