フィンランディア シベリウス
Jean Sibelius - Finlandia

世界の行進曲・愛国歌/フィンランド

シベリウス交響詩『フィンランディア』の原曲が作曲された1899年は、ロシア帝国によるフィンランド支配の方針が大きく転換され、フィンランドの自治権は奪われて急速にロシア化(Russification)が進められた年だった。

上の挿絵左側の世界地図をご覧いただきたい。「SUOMI(スオミ)」と書かれた領域がフィンランドを示しており、国境を接する東側がロシア帝国、西側がスウェーデンとなっている(赤い部分はロシアに奪われた土地)。

フィンランドの国土を擬人化すると…?

ここで、フィンランドの国境線を全体的に見ると、衣装をまとった一人の女性の姿が浮かんでこないだろうか?

挿絵の右側でワシに襲われている女性は、このフィンランドの国土の形を擬人化した「スオミネイト(フィンランドの乙女)」と呼ばれる架空の人物で、100年以上前から同国を象徴するシンボルとしてフィンランド国民の間に広く知られている。

このスオミネイトを襲っているワシは、フィンランドから法典(立法権)を奪おうとするロシア帝国の象徴。この絵画が描かれたのはまさに1899年のことであり、この絵はシベリウス『フィンランディア』とともに、以後1917年の独立宣言まで続くフィンランド独立運動の精神的なシンボルとなっていく。

1899年2月 加速化するロシア化

フィンランドのロシア化(Russification)は、ロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世(在位1894年11月1日 - 1917年3月15日)の治世に加速的に進められた。

当時ロシア帝国は勢力を増したドイツ帝国と対立関係にあり、ドイツ帝国と近接するフィンランドをロシア帝国の前線として支配を固める必要性もあった。

1899年2月、ニコライ2世は、フィンランド国内の法律をすべてロシア基本法の制限下に置く「2月宣言」を発した。フィンランド議会による立法権は実質的に失われ、議会には意見を述べる権利のみが残された。

さらに翌年1900年にはフィンランド行政府内でのフィンランド語の使用が禁止されロシア語が強要されたほか、1901年にはフィンランド軍が廃止され、すべての兵力はロシア軍に統合されてしまった。

また、団結の自由や集会の自由といった基本的人権にも制限が加えられ、学校教育ではロシア語の時間が以前よりも大幅に増枠された。1903年には反抗勢力が次々とフィンランド国外へ追放され、ロシア国内へ捕われる者も出た。

1899年11月 愛国記念劇でシベリウス作曲

ロシアに飲み込まれていく祖国を目の当たりにしたフィンランドでは、1899年11月、新聞社主催による舞台「愛国記念劇」が開催され、その劇付随音楽である組曲『歴史的情景』をシベリウスが作曲することとなった。

11月4日、「愛国記念劇」はヘルシンキのスウェーデン劇場(右写真)で上演され、急速にロシア化するフィンランドを前に、スオミ(フィンランド国民)としての意識高揚が訴えられた。

シベリウス作曲『歴史的情景(いにしえからの歩み)』第1番(作品25)は、フィンランドの歴史的出来事を描写した6曲からなる組曲で、特に終曲『フィンランドは目覚める(Suomi herää)』は好評を呼び、翌年(1900年)7月2日に若干の改訂を加えて独立させた楽曲『フィンランディア』として初演された。こうして、今日知られる『フィンランディア』が誕生した。

フィンランドの民族意識を高めた「カレワラ」

1835年に出版された叙事詩「カレワラ(カレヴァラ/Kalevala)」は、フィンランド国民の民族意識を高め、後のフィンランド独立運動を精神面から支えたとされている。

<挿絵:フィンランドの画家アクセリ・ガッレン=カッレラによるカレワラを題材とした絵画「アイノ」(1891年作)。中央で描かれているのは、乙女アイノに求婚するワイナミョイネン>

1809年にロシア帝国の属領となって以来フィンランドでは民族意識が高まり、医師エリアス・リョンロート(Elias Lönnrot)により独自の伝説や伝承・民族史・歌謡・民謡の収集が進められた。これらの伝承は叙事詩「カレワラ(英雄の地)」として出版され、国民の意識高揚に大きな役割を果たしていったという。

『フィンランディア』の作曲者シベリウスも叙事詩「カレワラ」に触発され、交響詩『トゥオネラの白鳥』、交響的幻想曲『ポホヨラの娘』など、「カレワラ」を題材とした楽曲をいくつか残している。

1904年 日露戦争勃発

1904年2月8日、大日本帝国とロシア帝国との間で日露戦争が勃発。1905年5月の日本海海戦では、東郷平八郎を司令長官とする日本海軍連合艦隊がロシア海軍のバルチック艦隊を撃破し、海戦史上まれな一方的大勝利を収めた。

<写真:横須賀市の三笠公園に保存された戦艦三笠>

ロシア帝国に対する大日本帝国の大勝利は、フィンランド国民による独立の機運を一層高め、1905年10月、騒乱状態のフィンランドはあらゆる階層の国民による大規模なストライキ(ゼネスト)に突入した。

フィンランド国民による強い意思表示の前にロシア皇帝は自治権剥奪の方針を一旦撤回し、フィンランドの法律と諸権利は「1899年2月宣言」の前の状態に戻された。

ロシア革命の混乱に乗じ独立へ

その後は再びロシア化が進められようとしたが、第一次世界大戦の勃発(1914-1918)で頓挫。そして1917年3月にはロシア革命によりニコライ2世は退位。戦争と革命でロシア帝国は大混乱に陥った。

<写真:ロシア革命当時の赤の広場(1917年)>

ロシア革命による混乱に乗じ、フィンランド議会は1917年にはついに独立を宣言。翌年には共産化するが、内戦にドイツ軍などが介入し赤軍は敗退。1919年にはフィンランド共和国憲法が制定された。

独立後のフィンランド

1939年 冬戦争でカレリア割譲

1939年、軍事基地の提供と国境線後退を拒絶したフィンランドに対し、ソビエト連邦は11月にフィンランドへ軍事侵攻した。いわゆるこの「冬戦争」で、フィンランド軍はマンネルヘイム元帥の下で必死の抵抗を試み、ソ連軍は10万人以上の犠牲者を出した(ソ連はこの侵略で国連から追放されている)。

<写真:フィンランド冬戦争でソ連軍を迎撃するフィンランド兵>

しかし次第にフィンランドは追い詰められ、ついに1940年3月13日、モスクワ講和条約が結ばれ停戦。独立は維持できたものの、フィンランドは国土面積のほぼ10分の1に相当するカレリアの割譲を余儀なくされた。

ソ連に奪われたカレリアとは、冒頭の挿絵で示した地図のスオミネイト(フィンランドの乙女)で言うと、赤い部分に「Karelia」と書かれた足の部分の地域を指す。現在そこにはロシア共和国のレニングラード州とカレリア共和国が存在する。

1941年 フィンランディア賛歌 誕生

カレリアを奪われたフィンランドでは1941年、詩人コスケンニエミによりシベリウス『フィンランディア』のメロディに愛国的な歌詞がつけられ、シベリウス本人が編曲を手掛けて、国威発揚のための愛国歌『フィンランディア賛歌』が誕生した。

歌詞では、ソ連による抑圧と侵略に屈しないフィンランドの勇敢さと誇りが描写され、今日においてもフィンランド第2の国歌的な位置付けで多くの国民によって愛唱されている。

『フィンランディア賛歌』の視聴、歌詞・日本語訳と解説はこちら

戦後のフィンランド

1941年6月から3年間、ソ連とフィンランドは再度戦争状態に突入する(継続戦争)。中立を維持し協力を拒んだスウェーデンを前に、フィンランドは枢軸国ドイツとの関係を深めざるを得ず、フィンランドは連合国から枢軸国側として宣戦布告されてしまう。

終戦後は、フィンランドは多額の賠償金を負っただけでなく、スオミネイト(フィンランドの乙女)の片腕にあたるPetsamo地方をすべてソ連に割譲。以前は両手を掲げる女性として描かれたスオミネイトの片腕がソ連に奪われてしまった。

1947年以降は国際社会への復帰を果たしたフィンランドだったが、資本主義国でありながらソ連の強い影響下におかれ、パーシキヴィ路線と呼ばれるソ連との友好的外交を行った。このような外交状況を指して「フィンランド化」なる言葉も生まれた。

<写真:ヘルシンキのオリンピック・スタジアム>

ただ、ソ連に対する友好的な立場の下で平和が維持され、また西と東を結ぶ貿易拠点として経済が発展したことで、フィンランド国民の生活水準は一時期世界一にも達した。首都ヘルシンキでは1952年に夏季ヘルシンキオリンピックが開催され、復興と平和を世界に大きく喧伝した(ヘルシンキ五輪にはソ連が初参加している)。

フィンランドで発売された東郷ビール

1971年、フィンランドでは東郷がラベルとなったビール「東郷ビール」 が発売された。これはピューニッキ醸造所「提督ビールシリーズ」の一つで、山本五十六やネルソンなどの世界的に有名な提督がラベルでシリーズ化された(1992年まで発売)。

フィンランドのカレヴィ・ソルサ元首相はこのビールを「トーゴービール」と呼び、フィンランド国民はこの東郷ビールを飲んで往時をしのんだそうだ(朝日新聞1997年10月6日付より)。ある時期の東郷ビールには、ラベルに「東郷平八郎提督に敬意を表して」とわざわざ日本語で書かれたデザインのものも存在したという。

なお、現在も「東郷ビール」なる商品が存在しているが、オランダで製造され輸入されたもの(緑色のビン)と国産のもの(黒いビン)の2種類が流通しているようだ。フィンランドのオリジナルではないが、雰囲気が楽しめれば十分だろう。

ロシア化する日本の北方領土

1939年の冬戦争、それに続く継続戦争でロシアにスオミネイトの片腕とカレリア地方を奪われたフィンランド。ロシアによる侵略は日本にも向けられ、今日においても択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の北方領土はロシアに不法占拠されている。

<写真:2012年5月9日 国後島で行進するロシア軍(産経新聞より引用)>

ロシアによる北方領土の実効支配は2012年になって加速度を増しており、特にメドべージェフ首相の現地訪問を契機に国後・択捉両島の港湾工事や道路舗装などの「ロシア化」が急ピッチで進められている。

択捉島の港湾工事には韓国の下請け企業が加担し、韓国自動車メーカー「HYUNDAI(現代・ヒュンダイ)」製の重機が我が物顔で択捉島をロシア化していくという現実。国後島のロシア正教会工事には北朝鮮の労働者も加わっているという。

日本もフィンランドも、ロシアに奪われた土地を取り戻すことは簡単なことではないだろう。「その時」が来るのはいつになるのか、何十年先か、何百年先か。たとえどれだけ時間がかかろうと、「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)、必ず報いざるべからず」である。

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シベリウス 交響詩『フィンランディア』

フィンランディア賛歌 Finlandia Hymni

Oi, Suomi, katso, sinun päiväs' koittaa,
Yön uhka karkoitettu on jo pois,
Ja aamun kiuru kirkkaudessa soittaa,
Kuin itse taivahan kansi sois'.
Yön vallat aamun valkeus jo voittaa,
Sun päiväs' koittaa, oi synnyinmaa.

おお、スオミ(フィンランド国民の自称)
汝の夜は明け行く
闇夜の脅威は消え去り
輝ける朝にヒバリは歌う
それはまさに天空の歌
夜の力は朝の光にかき消され
汝は夜明けを迎える 祖国よ

2.
Oi, nouse, Suomi, nosta korkealle,
Pääs' seppelöimä suurten muistojen.
Oi, nouse, Suomi, näytit maailmalle,
Sa että karkoitit orjuuden,
Ja ettet taipunut sa sorron alle,
On aamus' alkanut, synnyinmaa.

おお立ち上がれスオミ 高く掲げよ
偉大なる記憶に満ちた汝の頭を
おお立ち上がれスオミ 汝は世に示した
隷属のくびきを断ち切り
抑圧に屈しなかった汝の姿を
汝の夜は明けた 祖国よ

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